アスペって(私って、にすべき?)基本、家族さえいればあとは一人行動でも全然淋しくないんだよね。
淋しくなるのは、外で皆友達がいるのを目のあたりにしたり、「この人いつも独り。可哀想な人」という人目を気にするからだと思う。
学生時代は、それで馬鹿にされたり見下されたり、こそこそ嘲笑されたり虐めのターゲットにもなるからね。
社会人になると、あからさまに嘲笑する人は少ないにしても、
「(ゴールデンウイークやクリスマス)どこに行くの?誰と行くの?」
「彼氏は?友達は?」
「えーっ、独り?さみしくない?」
などの
「えーっ」リアクション(←これけっこうデリカシーないよね)の嵐にうんざりする。
世間がふつうに認めてさえくれれば、べつに淋しさを感じなくていいようなことでも、「孤独な人」「淋しい人」という他者から見られる自分像により、自己否定感や屈辱感ができあがる。
べつに本当は、自己否定も屈辱感も感じる必要のないようなことなんだけどね。
でもなんでか定型社会はそれを感じるようにつくられている。
クリスマスに独りぼっちが淋しく感じるようになっているのも、その淋しさは世間から抱かされた自己イメージによるもので、真性のものではないんだよね。
私は自分がマイノリティだから、他人にどんなカミングアウトをされても「えーっ」リアクションはとらない自信がある。
レズでもホモでも前科者でも「あ、そうなの~」と普通に共感的相槌を返す自信あるな。
何かのマイノリティな痛みを感じている人ばかりだと、世の中生きやすく、委縮する必要もなくなるんだけど、人間というのは多数派の安心感にはまっている人達ほどデリカシーないから、ますます喋るのイヤんなる。
まだやったことないけど一人カラオケも一人焼き肉も余裕で楽しめると思います。
高校時代の友達との付き合い方も、学校以外で会って遊ぶのって一年度に二回程度の淡泊さでした。
(皆基本的にオタクで出不精な子が多かったとかも理由なんですが)
勿論男性も苦労されてるんでしょうが、女性のアスペはこの辺が損ですよね。
女性の単独行動は可愛くない、惨めな奴だってマイナスな印象がより強そうです。
結婚して子供を産んでも公園仲間とかママ友とかいうくだらない付き合いがついて回るし…
私にはなんで他人の単独行動なんかいちいち気にしてバカにしたり腹を立てるのか理解出来ません。
なんで定型社会ってそういうくだらないことの方が人間性より評価の対象になるのか謎です。
あと私も同性愛者とかマイノリティ、底辺とか呼ばれる人の方が親近感あります。
仮に友達や知り合いに打ち明けられても別に大して気にもならないでしょうし、
文学も映画も漫画もそういうキャラクターの生き様が描かれた作品ばっか見てます。
弱い人の気持ちがわかるのは、発達障害者の数少ない美点かもしれませんね。
(これもどうせ役に立たない美点ですが…)