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30代後半でアスペルガー症候群と診断された女性です。高知能もギフテッドもない予後不良群の一人です。
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悲壮属性


たぬちゃんのアプローチにより、ぴんぴんさんがブログ村に復帰されたようで、よかった。
と、思ったら、コメント欄で「彼女(たぬちゃん)と関わるのはやめたほうがいい」みたいなコメントがあって、凹むなぁ・・・これじゃあ、定型社会と同じじゃないか。

ところで、アスペカテをよく見渡すと「独身」「無職」「中年女」のすべての悲壮属性がビンゴするのって、たぬちゃんと私だけ?
年代非公表の人はいるけど、公表しているのは。

拍手コメント欄には同じ属性の方達からもよくコメントを頂くので(励み&記事ネタの材料にもなっています。ありがとうございます)、いないことはない筈なんだけど、やっぱりこの属性ってかなりの自虐目線、剥き身覚悟でないとブログ立ち上げには至らないのかもしれない。

未曾有の就職難を知らなくて「働かざるものは」みたいな価値感を持っている人達からの非難や、嘲笑ターゲットにもされやすいし、「ネガティブなことばかり書いてないで、前向きに!」系の声にも悩まされる。

だから他の属性のアスペより発信したいことを非難無しで発信し続けることが難しくなる。
結果的に、当事者でも社会的属性を持った人達(有職者or主婦)が発信主の大半になるのだろうね。

たぬちゃんがいなくなったら、私ここでも独りぼっちになる。

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「えーっ」リアクション


アスペって(私って、にすべき?)基本、家族さえいればあとは一人行動でも全然淋しくないんだよね。

淋しくなるのは、外で皆友達がいるのを目のあたりにしたり、「この人いつも独り。可哀想な人」という人目を気にするからだと思う。

学生時代は、それで馬鹿にされたり見下されたり、こそこそ嘲笑されたり虐めのターゲットにもなるからね。

社会人になると、あからさまに嘲笑する人は少ないにしても、
「(ゴールデンウイークやクリスマス)どこに行くの?誰と行くの?」
「彼氏は?友達は?」
「えーっ、独り?さみしくない?」
などの「えーっ」リアクション(←これけっこうデリカシーないよね)の嵐にうんざりする。

世間がふつうに認めてさえくれれば、べつに淋しさを感じなくていいようなことでも、「孤独な人」「淋しい人」という他者から見られる自分像により、自己否定感や屈辱感ができあがる。
べつに本当は、自己否定も屈辱感も感じる必要のないようなことなんだけどね。
でもなんでか定型社会はそれを感じるようにつくられている。

クリスマスに独りぼっちが淋しく感じるようになっているのも、その淋しさは世間から抱かされた自己イメージによるもので、真性のものではないんだよね。

私は自分がマイノリティだから、他人にどんなカミングアウトをされても「えーっ」リアクションはとらない自信がある。
レズでもホモでも前科者でも「あ、そうなの~」と普通に共感的相槌を返す自信あるな。

何かのマイノリティな痛みを感じている人ばかりだと、世の中生きやすく、委縮する必要もなくなるんだけど、人間というのは多数派の安心感にはまっている人達ほどデリカシーないから、ますます喋るのイヤんなる。

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勝手実行機能障害というか


あーちゃんママでおなじみのmathkidさんのエントリ
勝手実行機能障害?

ここがアスペがわがまま・怠けと誤解されやすい部分なのですが、あります。

(↓ちょっと引用元が見つからないのですがネットのどこかで見ました)
(1)自分がやりたいから、必要だと思ったから、やる。
(2)やりなさい・やるべきだと言われたから、やる。
(3)皆が当たり前にやっていることだから、やる。

この中で(1)の動機でしか動かないのがアスペなんですよね・・・。

私は自我の希薄な受動型の子だったので・・・というか体罰で従わされていただけかもしれませんが、子供の頃は3つともの動機で動いていましたけど、遅まきながら自我が芽生え、親・教師もそうやすやすと体罰できない位に大きくなるとやはり、(1)の動機でしか動かなくなりました。

なので「やりたい(orやることが必要)と思わせる」ことが大事かもしれません・・・・。

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委縮


視線は合いづらいけれども、まったく合わないことはない。
もともとはアスペというよりシャイの範疇だったかと思う。

が、近頃、本格的に人の目が見られなくなってきた・・・・自閉度アップ。
外に出るのがつらい。

立派に働いて社会的に機能している人達が誰もかれも眩しく、なんで私はちゃんとした大人になれなかったのか、いつまでも社会的部分が童女のままなのか、屈辱感や劣等感でうつむきがちの上目遣いとなる。
気の弱い子供そのままだ。

スーパーに買い物に行くだけでも、レジ係の同年代の女性・・・試食コーナーで声を張り上げている若い女の子・・・もう全員がまぶしくてつらくなってきた。
このままじゃ重症の引きこもりになりそうだな・・・。

年齢相応の部分もあるのに、脳の何分の一かは確実子供のままで止まっている。
私は本当の意味であちら側(定型発達者側)には行けない・・・・

診断を受けてからはっきりと、そういうことを自覚するようになって、きついなぁ。

じゃあ自分がアスペだと知らないほうがよかったかというと、やっぱり知ってよかった。
マイノリティでも属性がある(=仲間がいる)だけいい。
けど、診断から日が浅いせいか今きつい。

何とか、この時期を乗り越えたいものだ。

いつまでも大人になれない人をピーターパンって言うらしいけど、おばはんのピーターパンなんて舌噛み切りたいほどの屈辱である。

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頑張り・努力→対策・工夫


もみじさんのエントリ
これまでの人生で、一生懸命勉強したという思い出がひとつもありません。勉強に限らず、努力を積み重ねて、何かを出来るようになったことが無いんです。


「頑張り」「努力」ってけっこう曖昧語じゃないですか?
アスペの場合、「工夫」「対策」という具体的なことに置き換えないと、うまく稼働しないかんじがする。
(その前にもちろん、「○○を」という具体的かつ狭い範囲の主語も必要)

>もちろん一方で、(成り行き上)訓練を積み重ねて出来るようになったことはあります。

それが、結果的に頑張った、努力した、ということではないでしょうか。

いや、資格取得を頑張っているもみじさんに水をさす意図ではなく、アスペって主語のはっきりしないことや曖昧語がそもそも苦手で、心に掲げる言葉が曖昧語か具体語かだけでも達成度が変わってくるんだよね・・・という話でした。

「頑張ろう」「努力しよう」と先に掲げて、何か達成できたためしないな、私も。
その言葉を掲げる時点で、「自分の興味・関心のないことを無理にする」ってことだからかもしれない。

一つ一つの細かい工夫や対策を実行することに専念し、「努力」「頑張り」などの曖昧で重圧感のある言葉は脳外に置いておいたほうがうまくいく、かも。

 

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プロフィール
HN:Solitude
性別:女
自己紹介:正式診断済みの受動型アスペルガーです。高知能も高学歴もギフテッドもなし。セクシャリティにも問題あり。これからどうやって生きていこうか模索中。メールアドレスはxxxxsolitu★dexx★xx@ya★hoo.co.jp (★3つ取り除いてください)
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