「あんな人(私)と関わって、大変でしたね」
「あの人(私)と一緒に行ったんですか。お疲れ様でした(含みあり)」
「(私に)絡まれて、可哀想~(苦笑)」
定型同士のこのような共感的やり取りは、罵倒と同レベル、いやもしかしたらそれよりもっとヘビーな傷となって、私の心に蓄積していった。
大人になってからの心の傷は、こういうもののほうが多い。
悪意なんてまったくないのに、なんで少数派だというだけでそういう言われ方をされなきゃなんないのか。
言われたほうはどんな気持ちがすると思っているのか。
本人に直接向けなきゃ、傷つかないとでも思っているのか。
でも、そんな叫びは、どこにも出すことができない。
なぜなら大半に理解してもらえないマイノリティだから。
アスペっ子を育てていらっしゃる親御さんがアスペカテに登録しているのが悪いとは言わないけれども、定型の親御さん同士で、アスペの人をさして上と似たような会話が交わされていると、やはり「どこのカテ内で言ってんだ」と憤りを感じてしまう。
まぁそういうこと・・・・
昨夜、迷った挙句に
らんどせるさんの記事にコメントした。
奥さんやお子さんが味わっているものを体感したという意味で、今回のことは意義があったと思うし、そう受け止めてもらえたらと思っている。
「やっぱりアスペの奴らは理解不能」
というところに着地されるんじゃ、今回の出来事は意味がない。
