みらいさんのおうちに神棚が届いたそうで、お幸せを心から祈っています。
と同時に、思い出してしまった・・・昔、母が私の部屋に変なお札を貼ったり、盛り塩までしていたことを・・・(悪霊退散てか・・・そういえば昔の「狐憑き」なんかももしかして、アスペの二次障害だったんじゃないの?ぴょんぴょん跳ねるのも自閉くさいし(汗))。
発達障害のフィルターを得ると、世のあらゆる不幸に発達障害が絡んでいるであろうことが嫌になるほど見えてくる。
もちろん、そうなるところに追い込まれるしかなかった発達障害者側の哀しさも・・・。
アスペは本当に、病んで病ませてと悲しい存在になりやすい。
なんで悪意がまるで存在していないところでも、好意や愛情しか存在しないところでも、悲しい存在になってしまうのか、このところずーっと考えていた。
一つはアスペ脳の自家中毒のきつさ。
何でも悪くとってしまいやすいし、最初は好意だった人まで最終的には悪意に変えてしまうぐらい、自家中毒がきつい脳だと思う。
それは現実にネガティブな対応を山ほどされてきたとか、もちろん原因はあるんだけど・・・。
もとは純粋すぎるほど純粋に人を信じすぎて、ちょっとしたことが大裏切りに感じられ、大きな心の痛手になってしまうのが原因なんだけど・・・。
しかし誰しも、悪者扱いされると離れたい気分になってくるし、ここはアスペが過去の悪しき学習パターンを捨て、意識して変えていかないといけない部分だと思う。
じゃないと、せっかく好意で気持ちを寄せてくれた人達まで遠ざけてしまう。
もう一つは情緒の不一致。これまた致命的。
定型とアスペじゃ、陸の生き物と水の生き物ぐらい、生きやすい場がそれぞれ違うと思う。
好意でやってもらったことが、ことごとくしんどいとか、辛すぎる。
定型さんが嬉しいパーティや飲み会なんて多くのアスペにとっては拷問でしかないし、同じ屋根の下に住んでいるのにコミュニケーションが希薄すぎるのは定型さんにとっては辛すぎるだろうし。
そして定型・非定型問わず、人が鬱になるメカニズムはというと、自尊心の低下と異常な疲れに尽きる。
世の中では定型が圧倒的多数派だから発達障害者が病むことが多いけど、家庭などでは比率が狂うので、定型の家族も次々に病んでしまうのだろう。
これは、悲しいね。
アスペなんか消えろ!寄ってくるな!っていう人達より、真剣に考えてくれる人や、寄り添ってくれる人のほうを病ませてしまうなんて。
そのことに対するジレンマに苦しんでいたけど、良いブログを見つけた。
「
アスペと定型~アスペルガーと定型のコミュニケーションを考える」
本腰を入れて考えてくれたら、やはり定型さんのほうが視野が広く、器が大きいなと思う。
ちょっと希望が見えてきた気がした。
それと私は関係性も重要かなと思います。家族、恋人、親友、いわゆる大事な人というやつですね。
その人にとって大切な人であれば何があっても真剣に考え、寄り添ってくれるのではないでしょうか。
まあ、そもそもアスペは自分を大切に思ってくれるような人どころか友人を作るのさえ大変なことではあるのですが…
私は子供の頃そこそこ厳しい教育をされ、興味のないこと(学校、勉強、習い事、コミュ全般)を母に無理矢理やらせれてとても苦痛でした。
アスペの診断が出た後、そういったことも含めて母に言うとショッキングだったと思うのですが「そんな感じはしてたけど障害だったのね、じゃあそれを踏まえてこれからどうするか考えよう」というような反応でした。
私から見て母は頑固で一度言い出したことは曲げない性格で、そこまで器が広い人でもないと思うのですが、アスペなんて認めない、ただの甘えだ、という見解を持つ人も多い中、素直に認めてくれた母は私にとって大事な人(大事に思ってくれてる人)なのかなと思います。