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30代後半でアスペルガー症候群と診断された女性です。高知能もギフテッドもない予後不良群の一人です。
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夜明けをめざして


このところ暗い記事が続いていてすみません。いつも暗いでしょうけど。
薬の増量でちょっとテンション変わってます(汗)

私は診断を受けて今は一時的に抑うつ感が酷くなっていると思う。
ドラマや映画のストーリーを追えなくなったし、本も読めなくなっている。
ネットの横書きの読み書きはできるし、たぶんこっちのほうが脳の負担が少ない?

障害がわかって一時的に抑うつ感が酷くなるのは私だけではないようで・・・お気持ちお察しいたします。
 ・今まで健常者だと思っていたのに土台からひっくり返された衝撃
 ・今までいかに不適切な頑張り方をしていたかがわかる虚しさ
 ・修復不能なほど溜まってしまった自己否定感
 ・過去の対人トラブルの数々は自分が原因だったことがクリアに見えてくる苦痛
などなど・・・いろんなことが一気にタッグを組んで襲いかかってくるよね。

とくに最後の「過去の対人トラブル」は・・・フラッシュバックの材料になっています。
当時は自分が間違っているなんて露ほども思わなかったけど、今から思えばアスペまる出しな罪がもう、数えきれないほどあった。己がアスペであることさえ頭にあれば、あのトラブルもあの別れも避けられたのに・・・って。

でも、苦しいけど、それでも診断を受けてよかったと思う。
こんな年齢までわからなかったのは、自分がそこそこ頑張ってきた証拠だと思えるし、いつか乗り越えられると信じている。

診断を受けてから、「自信」の持ちどころが逆転したなぁー。
以前は自分のマイナス感情(怒り)の軸がまさかずれているとは思わなかったから、アウトプットするのに正当性など考えなかったけど、今はそこはまったく自信がないので、怒りは出さない方向になっている。
まぁ、ちょっとクールダウンすればおさまる程度の怒りしか近頃は沸かないし。

あとメールや書き込みの連打とか相手の都合も考えずよくやっていたけど、これまたアスペくさいよね。そういうのもやめた。
議論なんか先に引いたほうの勝ちにしか見えないもんね、客観的には。

逆に、皆から責められてばかりだった部分では、こんな障害抱えて一人でよくやってきたんじゃないかと自分を褒められるようになった。


私みたいなのが言っても説得力ないかもしれないけど、同じような状態にある方、いつかきっと乗り越えられます。
優しい人は、いっぱいいます。
そして一時期無駄に思えた努力も、やっぱり無駄ではなかったと思える日がくる。
少なくともこれから積み上げていくものは、診断前の手探り状態の自分ではないわけだから・・・もう背伸びをしていない、本当の自分が積み上げていくものは、きっと強いと思う。

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病んで、病ませて


みらいさんのおうちに神棚が届いたそうで、お幸せを心から祈っています。

と同時に、思い出してしまった・・・昔、母が私の部屋に変なお札を貼ったり、盛り塩までしていたことを・・・(悪霊退散てか・・・そういえば昔の「狐憑き」なんかももしかして、アスペの二次障害だったんじゃないの?ぴょんぴょん跳ねるのも自閉くさいし(汗))。

発達障害のフィルターを得ると、世のあらゆる不幸に発達障害が絡んでいるであろうことが嫌になるほど見えてくる。
もちろん、そうなるところに追い込まれるしかなかった発達障害者側の哀しさも・・・。


アスペは本当に、病んで病ませてと悲しい存在になりやすい。
なんで悪意がまるで存在していないところでも、好意や愛情しか存在しないところでも、悲しい存在になってしまうのか、このところずーっと考えていた。


一つはアスペ脳の自家中毒のきつさ。
何でも悪くとってしまいやすいし、最初は好意だった人まで最終的には悪意に変えてしまうぐらい、自家中毒がきつい脳だと思う。
それは現実にネガティブな対応を山ほどされてきたとか、もちろん原因はあるんだけど・・・。
もとは純粋すぎるほど純粋に人を信じすぎて、ちょっとしたことが大裏切りに感じられ、大きな心の痛手になってしまうのが原因なんだけど・・・。
しかし誰しも、悪者扱いされると離れたい気分になってくるし、ここはアスペが過去の悪しき学習パターンを捨て、意識して変えていかないといけない部分だと思う。
じゃないと、せっかく好意で気持ちを寄せてくれた人達まで遠ざけてしまう。

もう一つは情緒の不一致。これまた致命的。
定型とアスペじゃ、陸の生き物と水の生き物ぐらい、生きやすい場がそれぞれ違うと思う。
好意でやってもらったことが、ことごとくしんどいとか、辛すぎる。
定型さんが嬉しいパーティや飲み会なんて多くのアスペにとっては拷問でしかないし、同じ屋根の下に住んでいるのにコミュニケーションが希薄すぎるのは定型さんにとっては辛すぎるだろうし。


そして定型・非定型問わず、人が鬱になるメカニズムはというと、自尊心の低下と異常な疲れに尽きる。
世の中では定型が圧倒的多数派だから発達障害者が病むことが多いけど、家庭などでは比率が狂うので、定型の家族も次々に病んでしまうのだろう。

これは、悲しいね。
アスペなんか消えろ!寄ってくるな!っていう人達より、真剣に考えてくれる人や、寄り添ってくれる人のほうを病ませてしまうなんて。

そのことに対するジレンマに苦しんでいたけど、良いブログを見つけた。
アスペと定型~アスペルガーと定型のコミュニケーションを考える

本腰を入れて考えてくれたら、やはり定型さんのほうが視野が広く、器が大きいなと思う。
ちょっと希望が見えてきた気がした。

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非言語的趣味が命


自閉の人はとくに言語コミュニケーションに難があるから、非言語的趣味を持つことが大事だと思う。
言葉が無くても「楽しい」を共有しあえる世界。
他者と楽しいコミュニケーションが成り立つとしたら非言語的趣味しかないような気がする・・・。

私は非言語的趣味が全滅で、とても困っている。

カラオケ→音痴を笑われてトラウマ
スケート→スケートシューズで立てずトラウマ
ボウリング→つま先にボールを落としてトラウマ

もちろん、笑いに昇華させるヒューマンスキルなどあろう筈がなく・・・すべて地獄絵図に終わった

ちょっと親しくなってもどこにも行けない。
つくづく、何一つ成功体験を積ませてもらえなかった残念さがこみあげるがもう言っても仕方ない。
多くのアスペさんに備わっている絵心も皆無だし。

唯一の趣味といえば文章を書くことだけど、これには多大な業がつきまとう。
ログを溜めれば溜めるほど、業が増えていく。


拍手コメ欄から、アスペと文章の上手下手の相関性について質問をいただきましたが、どうなんでしょうね。
私は文章は小学生のころからよくほめられていました。唯一、人並みにできる部分かもしれません。
自閉の人間にとって文章は命綱みたいなところもありますが、災いも引き起こすので一長一短だと思います。

私の場合、リアルでトラブルを起こしたり人が離れて行ったりするのは、単に口下手なだけではない、中身に問題があるのだという現実と如実に向き合わざるをえなくなりました。
それはそれで、自分にとって大切な学びとなってはいますが・・・・。

非言語的趣味が楽しめれば、そちらのほうが健全のような気がします。


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雑談研究・・・


なんてことない会話で絆を深めていくのが定型コミュニケーションなんだろうけど、難しすぎる。

雑談研究のため、母が一日に私に話しかけてきた内容を一覧にして眺めてみた(くだらないので公開しませんが(汗))。
いやぁー、ほんとにどうでもいい、だからどうした話のオンパレードで、ちょっと目まいがした。
私的にわざわざ口を開いて発言する必要があると思う内容は、一つもなかった。

じゃあ、一日中黙っているか?
やはり暗すぎるし、険悪な家族みたいなかんじになってしまうだろう。
母は太陽である。
しかし殆んどキャッチボールの成り立たない、能面顔で相槌を打つだけの娘に、よくここまでめげずに話しかけてくるよな母も・・・。

アスペは口を開けば当たり障りのあるトークになってしまうから嫌われるんだろうけど、当たり障りのないことで口を開く意味を感じられないのである。
いや、今は感じているけど。
しょうもない雑談の積み重ねによる絆の形成があってこそ、当たり障りのある話も抵抗なく聞けるというものである。
いきなり当たり障りのあることばかり言う人間に誰も寄ってはこない。わかっている。実際誰も寄ってこない。
でもこんなしょうもないことを山ほど会話しないと核心トークはしてはいけないなんて・・・と、母が私に話しかけてきた内容一覧を眺めてはくらくらしてくる。


自分でも疑問なのだが、そのくせ何でこんなに文章は書けるのか不思議。
おしゃべりな母は、オールプリントの年賀状にたった一言の自筆メッセージを書くことすら「何を書けばいいのかわからない」と悩んで、何も書かずに毎年出している。

喋るのと書くのは、きっと使用する脳の場所が違うのだろう。

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回避、回避、回避・・・


子供の頃は親戚が身近にいて、いつも外で会ったときの挨拶にすごく困っていた。
他人なら「こんにちは」と言えるのだが、近い親戚の場合どう挨拶すればいいのかがわからなかった。
わからなかったから、何も言葉を発することができず、歩き去っていた。

相手側から見た事象は、「無視」ってことにしかならない。
それがわかったのが小学校高学年ぐらい(遅いよね)。
でもそれがわかってからも、どう反応すればいいのかわからなくて苦悩していた。

そして今。
近所の方に一度コンニチハした後に、再度顔を合わせた時の声の掛け方がわからない・・・。
なんか歳とっても結局ずーっと同じことで苦悩している自分が情けない・・・。

二度目に会いそうなときは遠回りするなど、くだらない苦労を重ねている。
苦労の方向性が決定的に間違っているだろうというのはわかるんだけど、無視はしたくない→無視するというシュチュエーションを避ける・・・というオツムしかないのである。

自然に覚えられる筈のことを、あえてきちんと具体的に教わらないと、いつまでたっても理解できない障害だなとつくづく思う。

年々、変な人に思われないための無駄な動きが多くなりすぎて、ますます挙動不審な人物になってしまい、外に出るのがしんどい。


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プロフィール
HN:Solitude
性別:女
自己紹介:正式診断済みの受動型アスペルガーです。高知能も高学歴もギフテッドもなし。セクシャリティにも問題あり。これからどうやって生きていこうか模索中。メールアドレスはxxxxsolitu★dexx★xx@ya★hoo.co.jp (★3つ取り除いてください)
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