ああ、もう半年以上経っている。
消されてなくてよかった。
遺伝子を残せない以上、この世に足跡は残していくぞ。
ガンでもないのに予後不良って、、、と言われたことがあるけど、これは主治医が書いてくれた診断書にも書いてあったのですよ。
「予後」って欄があるのですよ。障害年金の申請書に。
発達障害が根本にあるためウンタラカンタラ・・・これ以上の改善は見込めないとか何とか。
障害年金、自分では想定外だったけど、今回は親が主治医のところや役所に走り回ってくれて・・・・私はぽかーーんとしているだけ。
「かまへん、ぽかーんとしとき、今回は私(母)にまかしとき」
と母。
たしかにこの一年でもうMAXじゃないかと思うぐらい薬も増えて、眠剤が効いてきたころに過食や夜中の奇行も出るようになり、発達障害性協調運動障害のせいでただでさえ不安定な歩き方がますますヨタヨタになってきて、やばいかんじにはなっている。
情緒面のほうも・・・
隣の家の女性が毎晩、仕事から帰宅する時の、ハイヒールのこつ、こつ、、という音を聞いただけで涙が出てきたり。
これにはいろんな意味があって、協調運動障害のある私は昔からハイヒールが履けなくて、あれで歩くというのは、私にとって竹馬と同じぐらいの難易度なのである。竹馬も乗れたことないから、よく知らないけど。とりあえずコケて足をぐねって終わったという点で同じ。
それで、そのヒールのコツ、コツを聞くたび、まっとうな女、まっとうな社会人、まっとうな大人・・・・になりそこねた悲しさが一気に襲ってくるのである。
ハイじゃなくてローヒールだったけど、私だって夜にコツコツいわせて帰宅してた時期もあったよね。でもマトモな大人のなりきりごっこはあれが限界だったよね・・・・とか、いろいろな思いが渦巻いて涙が出るのである。
そんなこんなで中年となり、じつは最初から別種だったというオチもまた泣ける。
もちろんアスペ女でもハイヒール履いて出社してる人はいるだろうし、結婚して子供育ててる人もいるわけだけどね。
とりあえず私は全部なりそこねたし、もう別種だとわかった以上、今後は努力するにしてもそっち方向ではない。
魚が陸にあがってどれだけ息が持つかみたいな、そんな努力は、もうしない。
一時は普通っぽくなれて嬉しくても、その後の不幸(結局人並みにはできない、人並みを期待されて鬱になる)を考えたら、つり合いが全然とれない。
そう、有名なあったかパパさんもよく書かれているけど、アスペにとっての社会適応とは結局、過剰適応でしかないのである。そういう頑張りをしている当事者の行く先は、重い鬱か、私のように頑張らないアスペへの批判やイヤミ攻撃という形になるわけだ。その心理メカニズムはわかるが、迷惑だ。
頑張るあなたも自己責任。頑張らない私も自己責任。
死んでから悪霊として彷徨わない程度には穏やかな精神状態で死にたいし、どう生きるかをつきつめると、どういう精神状態で死にたいかというところに必ずいきつく。
私が今考えているのは生き方より死に方である(自殺願望とはちょっと違う)。
とりあえず孤立死は確定的だし、どういう人生のオチなら一人で心安らかに死ねるかなぁと。
話戻るけど「なりそこね」という言葉が今、私の頭の中で大ブレイク中である。
まだ鬱のせいでドラマのストーリーまでは追えないんだけど、
「私は、母親になりそこねた女よ!!」
とかいう役者のセリフを聞いたときズキンときて、以後私の脳内で「なりそこね」という言葉が延々リフレインするようになった。
なりそこねたのが母親だけならまだいいじゃないか、私なんか全部なりそこねてる、おばはんピーターパンだし、もう女性とか人間とかいうより、いったい何の生き物なのかワケわからんし。
とまぁ。こんなかんじで、夢も希望もなく今回も終わるわ。
障害者になって政治というものに敏感になってきたし、またいろいろ書くと思うのでよろしく。
PS.レス無しの非礼をお詫びします。メールの返事はここ数日内に書くつもりです!
更新もしていないのに、いつもありがとうございます。